「ここが違う、ヨーロッパの交通政策」を読む

ここが違う、ヨーロッパの交通政策
 ヨーロッパの面白そうな交通政策事例集。いかにも流行ってます的な書き方だけど、調べてみるとそうでもなさそうな雰囲気を感じる事例も多いです。
とはいえ、実際に行われている(いた)のは事実だろうし、公共交通機関利用率が自動車をはるかに上回る都市の事例もいくつかあって興味深い内容でした。

「環境首都」フライブルクの交通手段の経年変化:
1976年→1998年で自動車60%→22%、公共交通機関22%→50%
(P73 表1から抜粋)


 著者はそこまで主張していませんが、この本に挙げられている”自動車をやめる”という決断をするためには、市民の理解が非常に重要なのだと思います。
実際、例えば自分が今住んでいるような地方の都市(人口数10万人)で来年から自動車締め出しますとか言ったらそらみんな反対すると思います。
しかし、よくよくよくよく考えて、公共交通機関や駐輪場の整備、自転車購入の優遇、企業をまたいだ通勤バス、などなど色々やってみれば意外にそんなに不便になることなく皆生活できるのではないでしょうか。
そのような結論に至るためには本書でも書かれている通り市民のための開かれた対話がかかせないのだと思います。それを5年間で500回も開催しちゃう(フランス、ストラスブールの事例)あたりがヨーロッパ人の文化なのでしょう。

今でこそ、ストラスブール路面電車の街として世界的に有名になったが、開設前はたくさんの市民から反対の声があった。そのため、市民に理解してもらうために、五年間で五〇〇回の協議会が開かれたという。その結果、反対していた市民のなんと八割までが賛成にまわったというから、開かれた対話がいかに大切であるかがわかる。(P83)


 ヨーロッパの交通政策は、日本のそれとは違い、「社会における自動車の役割は認めながらも、できるだけクルマを市内の中心から締め出し、人間主体の街づくりを目指す」ものである。
ヨーロッパもかつては日本のような自動車優先の交通政策をとっていた国が多かった。なぜ変われたのか?
著者は言います、その最も大きな要因は、市民の意識が日本と大きく違うからではないだろうか。そしてその背景には1988年フランスで制定された「人間は、誰でも自由に移動する権利を有する」という社会権としての交通権があるのだ、と。
最初、自分にはこの交通権というものがピンと来ませんでした。なぜ交通権がそこまで重要なのか、日本ではそんなものがあっても誰も見向きもしないよ、と。
しかし本を読み進めるにつれて、その考え方自身が日本的であり、このような考え方こそが日本にヨーロッパのような交通政策が生まれない原因なのではないかと気づきました。
本書ではこの”市民の意識の違い”をどうやって克服したらよいか、具体的なことは書いていません。自分もここに表現するに足るほどのなにかは思いつきません。
なかなか難しい問題だと思いますが、交通政策に関しては自動車中心の都市構造は時代遅れだと感じることも多く、なんとかしなくちゃいけないなと強く感じました。


この本で紹介されている都市に行って実際に現地の様子を見てきたい、そう思わせてくれる良書でした。
オススメです。[他人に勧める度合:★★★★★★☆☆☆☆]

ここが違う、ヨーロッパの交通政策

ここが違う、ヨーロッパの交通政策